単なる自分のルーツを調べることから、命の大切さを
大河ドラマなど歴史ものの番組に人気がありますが、以前、私の亡くなった父が、自分たちの祖先は源氏で仇討で有名な曽我兄弟に討たれた工藤祐経であると聞き、仇討されたその一族が、現在の鹿児島県曽於郡輝北町(現在の鹿屋市)へ落ち延びてきて住み着いたということで、私が中学生のころ父と二人で、その地を訪ねたことがありました。
ざっくり
地元の風景
私の祖先の名前は唐鎌姓を名乗り、親戚にも唐鎌さんがおられます。仇討のその後、一族で落ち延び、住み着いたものと思われます。その土地名が唐鎌の莊で、そこでそれを姓として名乗ったと思います。地元に行くと唐鎌神社(現在の諏訪両神社)があり、周囲には唐鎌姓の方が多く、バス停も唐鎌の名前があります。つい先日、私の長男とこの地を訪れ、昔を思い出しましたが、だいぶ風景は変わり、当時、神社に関わる直系の方がおられる食堂を訪ねお話を聞き、家系図を見せてもらいました。
以前、私が東海地方に住んでいたころ、富士山麓の白糸の滝を観光に行った際、近くに曽我兄弟仇討の地、という立派な記念碑が建っていました。そこから少し離れたところに工藤祐経の墓と書いてある小さな祠がありました。新しい花が供えてあり、関係のある方が今でもお参りくださっているのだと思いました。
戦前は、「忠君愛国」の名のもとに教育に利用したこともあって、「忠臣蔵」や「曽我兄弟の仇討」などが教科書に載っていましたが、今は知っている人も少なくなりました。私の郷里では毎年、河川敷で若い人たちが番傘を積み上げて燃やし、曽我兄弟の偉業を称える曽我どんの傘焼という行事があります。兄弟が仇討の際、番傘に火をつけて松明代わりにして仇を討ったという言い伝えにより、行っているということです。
歴史上の真実
歴史上の事件で事実は違ったのではないか、という事も多々あります。この「曽我兄弟の仇討」も本来は、源頼朝が鷹狩の最中に、頼朝をよく思わない一派が頼朝を狙って放たれた矢が間違って兄弟の父にあたり勘違いした兄弟が、工藤祐経の仕業だと思い込み、仇討を行ったのではないかという説もあります。このように歴史は「古事記」「日本書紀」の時代から、伝えられた内容と地域での口伝で違うのではないかと思われる事がしばしばあります。
天照大御神へ国を譲った説
例えば、日本書紀にある大国主命が天照大御神へ国を譲った説は勝者の正当性を記したもので、実際には、策略に負けた大国主命が国を譲ったと私は思っています。出雲大社の本殿が正面を向かず、西の方向を向いていることも不思議で、反対側の東には大和国があり何か意図的なものを感じます。これらの事は神話の世界のことで、解釈は様々でありますが、「大化改新」「鎌倉幕府」「室町幕府」「戦国時代」「徳川幕府」「明治維新」と各時代において様々な事件が起きています。世界的に見てもまた然り、ですが、記録を見るに時代は勝者によって作られていることが分かります。
なぜ、いま歴史・家系を振り返るか
私がなぜ、このような事を書いてきたか、それは、自分自身の存在です。歴史を振り返ると自分の家系がいつ途絶えてもおかしくないことが多々あった中で、この長い歴史の中で私が今、存在しています。これは偶然起きたことではなく、奇跡に近いことが起きたという事ではないか、それらを考えると今、生きている命を大事にしないと、この長い歴史を生き抜いてきたご先祖様に申し訳がない、また、そのことだけではなく命の大切さを痛感します。
この世に生まれてきたということ
今、全国で自殺者が増加しています。自殺に至るまでの経緯はつらいものがあり、他人には理解しがたいことも多いと思います。一概には言えませんが、一度立ち止まり、自分の存在価値を見直したらどうかと思います。この世に生まれるという事はそれぞれに、意味があると思います。生きている意味がない、などという事は絶対にありません。第2次世界大戦中、ヒトラーはユダヤ人のみならず、自国の障がい者を抹殺しました。障がい者もこの世に生まれた以上、生きていく権利があります。この地球上で生きていく権利のない人はいません。
私の幼少期・生い立ちを振り返る
私は、自分のルーツを調べていく上で、以上のような思いを持つようになりました。また、自分がここまで生きてきたことを振り返ることも短いルーツではないかと思います。私が生まれたのは戦後間もない昭和28年です。戦争は経験していませんが、父親は海軍航空隊に所属しており、大変厳しい人でした。怒ったときは「貴様!!」というのが口癖でした。
テーブルクロスを持参できない生徒たち
昭和28年というと、高度経済成長期に入るところで、いろいろなことが発展した反面、時代の流れについていけない方々も出てきて貧富の差も出てきました。私の出た小学校は貧しい地区の子供が多く、靴を履いて登校する子供は少なかったです。小学校の卒業アルバムを見るとほとんどの子供が靴を履いていません。私が6年生の時、給食時間になると1年生のお世話をすることになっていました。1年生は給食の時、テーブルクロスを用意するように先生から言われていました。このクラスの中で2〜3人持ってこれない生徒がいました。確か1枚5円か10円でした。この生徒たちの家は貧しく親にお金をもらえないのです。先生はそれを察することなく毎回叱るのです。私は見るに見かねてテーブルクロスをこの生徒たちに買ってあげました。
大人の言動・嫌味な言葉
私の小学校は朝鮮の方々が住む地区もあり、よく差別がありました。差別といえば遠足で城山というところへ歩いていくのですが、途中、街中を通るとき、その地域の大人の人から「〇〇(私の小学校の生徒が多く住む地域名)の匂いがする」と嫌味な言葉をかけられました。なぜこんなことを言うのか当時は分かりませんでした。この大人の人たちは、こういうことを言うことで自分たちが裕福だと思いたかったのではないでしょうか。その証拠に中学校へ入学してから、街中の子供たちと一緒になり、よく小学校の名前を言われて小ばかにされました。差別は大人の言動を聞いた子供たちが、それを信じ込み悪げなく言っているのだな、と思いました。
ルーツから、世の中の矛盾・理不尽へ
単なる自分のルーツを調べることから、命の大切さを考えたり、自分の生い立ちを振り返り、差別など世の中の矛盾、理不尽を考えたりすることが大事なことではないかと思いました。現在、世界中で対立を煽る指導者が出てきています。しかし、この指導者を選んだのも国民です。戦時中、メディアも国民も戦争へまっしぐらでした。戦地で戦うのは軍隊であり軍人ですが、戦争を起こすのは政治家です。その政治家を選ぶのは日本国の場合、国民です。よく歴史は繰り返されると言われます。戦争はどんな理由があろうとも繰り返してはいけません。
選挙の際、知人に頼まれたからとか、組織、団体の一員だからと何も考えずに投票することは問題があると思います。国会中継を見ていると、この議員さんは本当に国会議員なのか耳を疑うような答弁をする方がいます。このような議員さんは国家、国民を守ることはできません。国家間でもよくあることですが、資源もあり、経済的にも優位に立つ大国が、自分の言うことを聞かないからと言って経済封鎖をしたり、圧力をかけ、制裁という名目で相手国にいう事を聞かせよとしています。戦前の日本はこれに戦争という形で向かっていき、ひどい目にあいました。
子供同士が出会い、抱き合う動画を見て
人はみんな平和が一番大切だと分かっているはずです。しかし、我慢できなかったり、相手が軍備を増強したから自分たちももっと増強しようと繰り返す、これでは終わりがありません。最近、ある国の指導者が「〇〇ファースト」と平気で大衆を煽っているニュースをよく見ます。どういう考えで、どういう意図で言っているのか、これがこの大国のリーダーなのかと信じられません。先日、テレビを見ていると、2人の5歳くらいの子供が歩道の両端から相手に向かって走り出し、中央付近で出会い抱き合うという動画が話題となっているニュースがでていました。この子供は白人と黒人の子供でした。これを見ると人は元々、差別の意識などなく大人になる過程で親や、周囲の人たちから間違った知識を植え付けられるのではないでしょうか。みなさん、恒久的な平和を望んでいるはずです。偏見や差別のない世界をこれから活躍する子供たちのために協力して作り上げ、残していきたいものです。
2年ぶり「曽我どんの傘焼き」 燃え上がる炎 夏の夜照らす 鹿児島市 https://t.co/Lj7F52Xkq4 pic.twitter.com/gcDhBnKOlK
— 373news.com 南日本新聞 (@373news_twit) July 22, 2018
TOROROさんの原風景のひとつでもあり、鹿児島の夏の伝統行事でもある「曽我どんの傘焼き」。こういった「伝統」や「歴史」というものが、長く続いていく社会が続いていってほしいと願います。