記憶を呼び起こすまでの速さ
長年ヒトが何かを学習するとき記憶のシナプスの強化が重要だと考えられてきました。例えば、「外見は緑と黒、中身は赤くてタネがある、夏によく食べられる、大きい果物とは?」という問いに、「スイカ」と答える感じです。スイカを連想する記憶のシナプスを、簡単に分けると「外見は緑と黒」「中身は赤くてタネがある」「夏」「食べられる」「大きい果物」の5つになります。
他にも、五感(知覚情報)の記憶を頼る必要もあるでしょう。
このように1つの答えを導くとき、私たちの脳は、膨大な学習(ヒント・知覚情報)の記憶を結びつけています。しかし実際は、少ない学習のみで物事を学習している可能性があります。その答えは、「海馬」と呼ばれる記憶を司る部位にあるようです。今回は、膨大な学習カットの可能性がある海馬の「場所細胞」をご紹介します。
場所細胞とは?
場所細胞とは、ある特定の場所を通過するときに発火する海馬にある神経細胞(ニューロン)のことです。また、「ある特定の場所」のことを場所受容野(place field)と呼びます。場所細胞が発見されたのは、1971年のJ・O’KeefeとJ・ドストロフスキーのラットの研究報告が最初でした。彼らは場所細胞の発火は、外部環境のみに左右され、内的情報に依存しないという説明をしました。
ニューロンが「発火する」という表現は、ニューロンが外部刺激により電気信号を送る状態(活動電位)に達するときに使われる脳のものさしのことのようです。「あ!、マウスの場所細胞に電気信号が走った!(発火した!)」みたいなニュアンスで捉えてもらえればよいかもしれないですね。
場所細胞の発火タイミングと場所受容野
場所細胞のニューロンが発火する現象は、上述した記憶を司る海馬にある「場所細胞」と呼ばれるところで起きていると判明しています。場所細胞の発火タイミングは、ある特定の場所受容野には特定の場所細胞が対応しており、その場所受容野の中心に向かうに従って発火が早くなり、やがて中心から離れていくと遅くなり、新たな場所受容野の場所細胞が発火するとされています。場所細胞が発火するタイミングを調査したラットの研究を、ヒトに当てはめて説明します。
例えば、自宅から友人の家に着くまでの道のりをA(自宅)→B(中間地点の公園)→C(友人の家)と分けた場合、A→B間(場所受容野)では、A→B間の場所細胞が発火します。次に、目印の公園が見えてくると、初めの場所細胞の発火が遅くなり、次のB→C間の発火が始まるというようなことです。
このように、場所細胞の発火は、タイミングが重なり合うように絶え間なく目標・報酬(学習)に向かって継続しているのです。また、動物の場所受容野は環境の変化に柔軟に対応するので同じ道であっても、往路と復路で使われる場所受容野と場所細胞は調整されます。
※慣れ親しんだ特定の場所(場所受容野)である場合は、加齢によって毎回異なる場所受容野を示すとも言われています。
場所細胞の発火速度とシータ波
場所細胞の発火速度は、海馬でみられるシータ波(4~8Hz)のリズムによって変化することが知られています。シータ波とは脳波の一つであり、脳が集中状態や安静(睡眠)状態に発生する微弱な電流のことです。シータ波を分かりやすく次に説明します。
- 私たちが何か1つのことに集中して作業しているとき、何の突拍子もなく訪れる「あ!ひらめいた!」という感覚。
- 昨日まで解けなかった答えが、睡眠をとった次の日「わかった!」という体験。
このようにシータ波は、何の脈絡のない情報を結び付けて「答え」を導き出してくれるすごい脳波でもあります。そんなシータ波ですが、場所細胞が場所受容野の中心に近づくにつれて発火リズムを上げているとき、シータ波(4~8Hz)の周期リズムも前進しているようです。これを「シータ位相歳差現象」と呼びます。動物は、このシータ波の周期の前進と場所細胞の発火速度のタイミングを利用して目標までの距離を判定しているとも考えられています。
ウィルソン(Wilson)とマックノートン(McNaugton)の研究
1994年、ウィルソン(Wilson)とマックノートン(McNaugton)の研究によると、脳が覚醒しているときと、脳が休息しているとき(睡眠中)の数十種類の場所細胞の活動には、相関関係があると発表しています。
- 覚醒時に発火する場所細胞のペアは、睡眠時でも同じような発火ペアの再生をしている。
- 発火パターンは時間軸上では数倍に圧縮されていて、覚醒しているときや睡眠中の鋭い波が発生しているときにも再生されている。
これらからも分かるように、やはり場所細胞とシータ波には強い「シータ位相歳差」が働いているようですね。
膨大な学習カットの可能性がある場所細胞
場所細胞が、膨大な学習のカット(処理)をしている可能性を以下でご紹介します。
- 動物がある場所受容野から次の場所受容野へ移るとき、初めの場所細胞と次の場所細胞の発火がダブることで、ニューロンのシナプスを強化して、距離・空間位置を把握していると考えられている。
- 近年の研究では、シータ位相歳差が時間・画像の認識にも関係があると発表されている。
つまり、場所細胞は、「距離や空間位置を認識するのと同じやり方」で「時間や画像も認識している」ということです。記憶を司る海馬にある「場所細胞という1つのところ」で、膨大な学習のカットをしている可能性があるということですね。長年にわたって、ヒトが何か新しいことを学習するには膨大な学習量が必要とされてきましたが、必ずしもヒトは膨大な学習データを使わず、ほんのわずかな学習でも可能ということが分かりました。私たちの脳がシータ位相歳差現象により、「脈絡のない情報をヒラメキという手段を使って学習している」と考えると、迅速に「学習できる理由」が説明できるかもしれません。いつ(when)、どこで(where)、何を(what)という一連を想起することをエピソード記憶と呼びますが、場所細胞は、そのうちの「どこで」の情報表現と関係があると考えられています。また、いくつかの研究グループによると、場所細胞の発火パターンは単に「場所」だけでなく、知覚(視覚、嗅覚)と関連する記憶によって形成されると報告されているので驚きです。
今回は、脳の記憶を司るところに場所細胞の存在が膨大な学習をせずとも、ほんのわずかな学習の記憶から、新しい学習をすることができる(膨大な学習のカット)の可能性についてご紹介しました。場所細胞の発火とヒラメキが学習速度の加速に相関しているとは、ロマンがありますね。
それでは、最後までご覧くださりありがとうございました。