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なぜ勉強をするのか?子供の頃に教えてもらいたかった理由

大の勉強嫌いが自発的に学ぶようになるまで

子供の頃、私は勉強が大嫌いでした。なぜ勉強をする必要があるのか? まずそれが理解できませんでした。だから学校も嫌いで、早く大人になって学校へ行かなくても済む世界で生きたいと思っていました。
私にとっての勉強や学校へ行くことは、「嫌だけどやらなければいけないこと」でした。もし子供の頃に、「人はなぜ勉強をする必要があるのか」「勉強をすることで何を得られるのか」を理解していたら、もう少し勉強が楽しいものになっていたのかもしれません。

というのも、自分がなぜそれをするのか?その理由を理解して、自分が「やりたい!楽しい!」と感じないと物事を受け入れることが出来ない性分は、50歳になった今でも変わらないからです。大人げない、勿体ないと言う人もいますが、そうでなければ自分らしく感じず辛くなるのです。

そんな私でも社会人になってからは、自発的に新しいことを自然と学び続けています。もし学校の勉強が嫌いで、苦痛に感じているお子さんが居たら、「その勉強をすると何に役立つのか」という具体的な理由と目的、本人の適正にあった勉強方法を伝え続けて欲しいのです。

勉強のやり方も学校で教えてほしい

今でも試験前に勉強ができず追い込まれる夢をみます。本を一冊最後まで読むことが出来るようになったのは中学生になってからです。それも自分から興味を持てるものだけです。興味を持てない授業の教科書は読めず、話も耳に入りませんでした。読書感想文は、後ろの「まとめ」から読んで適当に書いていました。

ただし勉強が嫌いでも、自分を表現すること。例えば自分の考えを話したり、書くこと、楽器の演奏やダンスの反復練習は好きで得意でした。その特性を生かした勉強方法を早くに学ぶことが出来ていたら、私の人生も変わっていたのではないかと思っています。

勉強は記憶術なのか?

私は子供の頃に家族から勉強のやり方を教えてもらった事がありません。宿題は怒られるから適当にやる。でも勉強というものは、どうやるものなのか解らず苦手意識だけを持ち続けました。

中学生の頃に成績の良い友達から、「勉強は記憶術だ」という言葉を聞いてとても衝撃を受けたことがあります。
私には予習復習の概念もなく、教科書のテスト範囲を何度も読むことすら出来ません。テストの前日に、最後まで一回読めたら良い方なので、記憶なんてとんでもないと思ったし、そもそもテスト用に記憶するものは忘れる前提だと思っていたので、ますます勉強をする理由が分からなくなりました。
もし日本でもディベートの成績が評価されるのであれば、私でも良い成績が取れたのかもしれない、と日本に生まれたことを恨んでいました。だから、一刻も早く時間が経ち、自由に生きる大人になりたいと思っていました。

目的と勉強のやり方がわかれば、成績が上がる事が判明

なぜ勉強をするのかも解らず、自分の成績の悪さに辟易としていました。でも高校受験の際、英数国の先生から個人で勉強を教えてもらい、言われたとおりに宿題をこなすと急に成績が上がりました。言われたことを何度もやって、テストで良い成績を取れば先生から褒められる。さらに高校に合格する、という目的がハッキリとしていたので、それが自分のやりたいことになり、ゲームを攻略する感覚で受験勉強にのめり込みました。
もっと早く「勉強のやり方と目的」を明確に教えてもらえていたら勉強を好きになっていたのかも知れません。

落ちると思っていた高校へ合格し、抜け殻状態

高校受験では自分の行きたい共学の学校は受験できませんでした。両親の選んだ学校は、いわゆるお嬢様学校といわれる中高一貫校への外部入学で、すでに出来上がったコミュニティへ入るという自分に合わないことが明確な学校でした。しかし私の育った家庭では、話し合う場も無く、トップダウンの命令に逆らうことは出来ない環境だったので、諦めて受け入れるしかありませんでした。私の成績では「第一志望の合格は難しい」と言う人もいたので、それらを見返すことも私の目的になりました。

そして受験前は各教科の先生が言う通りに過去の試験問題集を繰り返しやったことが想像以上に効果を発揮し、入学試験に出た問題のほとんどを既にやったことがある問題かのように簡単に解けてしまいました。

当然ですが、無理矢理つけた受験用の能力ではせっかく合格した高校の勉強レベルについていけません。もともと学校というものが嫌いでしたし、特に嫌いな新任の先生から習う数学の成績は最下位をキープして、補習の常連になりました。授業中に眠ってテストも白紙の状態で出していたのだから仕方がありません。完全に燃え尽き症候群でした。

追試で個人的に勉強を教えてもらうと好成績

高校の補習は夏休みや春休みも学校へ行かなければなりません。ただでさえ行きたくない学校へ通常よりも多く通わなければいけないのは大変苦痛でした。
補習の授業ではベテランの先生から丁寧に問題の解き方を教えてもらい、翌日の授業の始まりに前日に行った問題をテストする流れでした。直接教えてもらいながら解いた20問を自宅に帰ったら必ず3回繰り返し解くことにしました。その勉強スタイルは、高校受験の際に覚えた過去の問題を繰り返すスタイルに似ていたし、補習のテストで毎回満点を取ることで嫌いな先生への反抗を示すというハッキリとした目的がありました。
「こんなに出来るのに何で…」
と先生に言わせて目的を達成しました。随分と尖っていましたが、そのまま付属の大学へ行ける高校だったので自分が興味を持ち、実技が評価されやすい学部へ進むことができました。

大人になってから学ぶことが楽しくなった理由

こんな勉強嫌いの学生時代でしたが、社会人になってからは自ら興味を持ち、詳しく知りたいこと、学びたいことがあれば本を読んで勉強を続けています。仕事をしながら簡単なものは独学で、必要であれば学校へ通って資格試験まで受けるようになりました。趣味の習い事でも、宿題や小さなテストは繰り返し行われます。もちろん試験やテスト前の重圧は苦手ですが、学ぶことや目的を達成する楽しさから得るドーパミンがそれを上回っていると感じています。年齢を重ねてもそれまでに得た知識と結びつければ記憶力の低下は充分に補えると感じています。

「勉強」という言葉にはまだ何とも言えない嫌悪感を抱きます。でも「知りたい」「学びたい」という気持ちを持ち続けることができるのは、とても自分らしいと感じています。

特性を生かして楽しもう

勉強が大嫌いだった私でも、「なぜそれをする必要があるのか」、「それをすると何を得られるのか」を理解すれば、「自分のやりたいこと」として学ぶことも好きになりました。勉強のやり方も私の特性では「反復練習」と、結果が得やすくてちょっと反抗的な「目的」があると楽しめるようです。

人間にはそれぞれ得意なこと不得意なことがあり、物事のとらえ方にも個性があります。自分が得意なことを知ってその特性を活かすことができれば何歳からでも苦手なことが好きになる可能性もあります。もしかしたら、私は勉強することが嫌いなのではなくて、「勉強」という言葉の「させられている感覚」へ抵抗していたのかも知れません。

もしお時間があれば、肉乃小路ニクヨさんがYouTubeでお話されている、各教科をなぜ勉強するのか。
その解説が素晴らしいので、ぜひ御覧ください。

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