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子供の機嫌を取って何も言わなくなったらこの世は終わる

周りの大人に怒られるということ

昔、私たちの周りには怖い大人という存在がいたはずです。何か悪さをしていると、追いかけて来ては『コラーッ』と一括のうちに長いお説教をくらったりしたものでした。その時は『うるさいおじさんおばさんだな』と思いはしましたが、後々になって考えてみるとそのお説教はもっともな意見だったりしたのです。

そんなおじさんや・おばさんを近頃とんと見なくなりましたね。子ども達の安全の保証のためのPTAや悪質な変態や不審者などの悪戯行為により、正しいおじさん・おばさん達までもが動きにくい世の中となってきたようです。

子ども達をしつけるということ

昔は、部落や地域の大人達が一丸となって子ども達のしつけを担うような傾向がありました。学校の先輩にしても然り、近所のおじさんやおばさん、爺ちゃん婆ちゃん、商店街のおじちゃん・おばちゃんたちが子どもを遠からず近からず見守ってくれていました。中には、片親で子どもを持つ家庭やお父さんが単身赴任の家庭もあったでしょう。それでも、子ども達は周りの大人に叱られたり優しく見守られたりしながら大きくなっていったものでした。

学生の頃に友達との下校途中、公園の茂みに寄って持ち寄ったタバコを隠れて吸ったりしていた際には、いつも溜まり場化していたその場を、張っていた元中学校教師のおばちゃんに発見され、それはそれは物凄い勢いで追いかけられたものでした。

しかし、時代の変化とともに各家庭化が進み、商店街はモールや大きなスーパーに客を奪われ、軒並み店を畳み始めました。そうして、少しづつ少しづつ時代の変化とともに子ども達の遊びや遊び場が変わり、塾や習い事と共に地域の大人と接する時間自体が減少してきたのです。

心からの説教は今でも心を打つ?

周りの大人からの苦言は聞く。実は私、中学・高校あまり大人の言うことを聞かずにやってきましたが、私にも大人の苦言を聞かねばならない時がやってきたのです。それは、仕事です。仕事となると先輩や店長・上司の言うことを聞かずには物事は進みません。

先日、こんなことがありました。コンビニに行き、『メビウスのライトを2つ下さい』と頼むと『何番ですか?』と聞かれました。私はあまり目が良くありません。何番なのか、どのデザインなのかが今、新型ウィルスで見えにくい感染予防のためのビニール越しには、目を凝らしても見えにくいです。

会計になって、『メビウスくらいは覚えた方が良いですよ』と言うと、そのお姉さんは事もなく堂々と言いました『新人なので!』私の中では、まさにあり得ない逃げの返答でした。それは理由にはならないし、そんな逃げ口実の言い訳を言い出してはキリがないのではないだろうかと私は思いましたが、この『本意』がこの彼女には、届かないであろうと思ったために諦めました。

私も若い頃はカフェやモール、病院などで働きましたが、働いてお金を貰う以上は『新人なので』で通る理屈などはありませんでしたし、新人店員にしても店のその場に立つ以上はお客さんから見たら立派な店員です。

それに私は注意をしたり怒ったりしたいわけではありませんでした。アドバイスをしただけなのです。

世の中の大人が子供の機嫌を取って何も言わなくなったら

今の大人は、子ども達に気を使いすぎてます。子供に気を使ったり機嫌を取るための色々な策を練り過ぎてます。なので、子供に舐められています。大人は大人、子どもは子ども。子どもの時はこうして覚えていくものだと大人が毅然とした態度を一貫して通す必要があります。

大人が揺らいだり、弱みを見せたりすると子どもはつけ上がってくるものです。仮に説教に失敗したとしても堂々とした態度でいましょう。

悪いことをしたら悪い、逆に良いことをしたのなら、『これでもか』というくらい褒めてあげて良いと思います。心からの本当のしつけは子どもにはちゃんと伝わります。すぐすぐには伝わらないかも知れませんが、後から振り返ってあの時、本気で叱ってくれた真意を子ども達はきっと見い出すはずです。

子ども達に愛あるコミュニケーションと心に残る正しいしつけを。

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