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笑いの殿様、志村けんさんコロナによる肺炎で惜しまれながら死去

日本お笑い会のレジェンド 志村けんさん

志村けんさんは、1950年2月20日、小学校教諭だった父・憲司(けんじ)さんと母・和子(かずこ)さんの三男として、東京都東村山市に生まれました。芸名の「けん」は父の名前から取ったそうです。幼少期の志村けんさんにとって父親は厳格で、家庭内はいつも重苦しい雰囲気でした。

そんな父親も、当時はまだ珍しかったテレビでのお笑いや漫才、落語の時は笑っていたそうです。その経験から、お笑い芸人の道を目指すことに興味を持つことになったといわれています。

今は亡き、いかりや長介さん率いるドリフのコントから始まり、「カトちゃんケンちゃんご機嫌テレビ」「志村けんのバカ殿様」「志村どうぶつ園」などのテレビ番組で活躍してきた志村けんさん。コント、コメディ界の大物であるし、私から言わせて貰えれば、日本お笑い会のレジェンドです。

 

とても大きな息抜きの時間

私は子供の頃、夜8時からテレビで放送されていた「ドリフ大爆笑」を見るのが、それはそれはとても楽しみでした。

あのドリフの音楽に乗せて、いかりや長介さん、加藤茶さん、高木ブーさん、仲本工事さんとのコントが繰り広げられる「8時だよ全員集合!!」は、日々の生活の中でのたまの娯楽で、とても大きな息抜きの時間になっていました。大きな舞台セットの中でふざけた大きなリアクションを取り笑いを取る志村けんさんは、その頃の私たち子供たちにとって憧れの存在だったのかもしれません。

 

笑いの道

「イヤなことがあっても思いきり笑えば忘れられる」という信念をモットーに、志村さんはコントで体を張って皆を笑わせ、いえ、皆に笑われるコントをやってきました。バカ殿の頃も「バカ殿は永遠、マンネリこそワザの見せどころ」と思い、未来も体が続く限り馬鹿をやっていたいと思っていたとか。

志村さんは、中学生の頃にはもうすでにコメディアンになろうと心の中に決めていたようです。進学校の都立久留米高校に進み、高校卒業間近。その頃はお笑いの仕事をしようと思ったら、付き人になるか弟子入りするしかなかった時代。住所を調べて「ザ・ドリフターズ」のいかりや長介さんを訪ねました。その1週間後に電話がかかってきて・・・。

「『付き人が辞めたから、お前を使ってやる』」と言われましたが、卒業間近だったので「4月からにしてほしい」と言うと「すぐに来い」と言われ、そのまま巡業の旅に出ることに・・・。

当時、ドリフは楽器を使ったコミックバンドだったので、仕事はアンプやドラムなどを運び、楽器をセッティングする結構な力仕事だったとか。

食べるのが精一杯だった下積みの時代。しかし志村さんにとってやりたいことがやれるそれだけで良かったそうです。

 

病因

3月29日午後11時10分、その志村けんさん(享年70)が新型コロナウィルスによる肺炎のため、東京都内の病院で死去したという報告が入りました。日本中は悲しみに明け暮れていることでしょう。私自身もその悲報を受けてのショックは隠しきれなかったです。

志村さん、コントを考える時などは指と指との間にタバコを挟んで何時間もコントのネタを練り始め、何本も何本もタバコをチェーンスモークするなどしていたそうです。もともとは多い時で1日3箱も吸うヘビースモーカー。2016年8月に肺炎を発症しました。10日余りの入院を余儀なくされ、公演中の舞台を中止したことがあります。それ以来、タバコはやめていたそうなのですが、それまでの喫煙による肺のダメージは、相当蓄積されていたようです。

タバコが体に与える影響を示す数字に「喫煙指数(ブリンクマン指数)」があります。「1日の喫煙本数」×「喫煙年数」で算出され、この数値が700を超えると肺がんや咽頭がんだけではなく、「COPD(慢性閉塞性肺疾患)」のリスクが高まるとされています。

1つあまり多くメディアで語られない事実が、タバコは肺に煙を運んでいくのでその煙自体がコロナにも重ねて健康を害したという事、長年の喫煙によってコロナへの耐性がなくなってしまっていた事などが挙げられています。

 

「大恩人の死を無駄にせず今度こそ薬物を断ち切って」

ネット上で志村さんの訃報を受け、「田代まさしとのやり取り懐かしい」「田代まさしとのコント抜群だったよな」「田代まさし時代のバカ殿様が1番好きだった」などの当時を懐かしむ声がありました。また、「田代まさしさんも悲しいだろうな」「マーシー泣いてるだろうな」「マーシーさんもしんどいだろうな」「悔しいだろうな」など田代氏の心中を察する声、そして「これを機に更生してほしい」「まさし帰ってこいよ」「今度こそ本当の意味で立ち直らないといけない」「大恩人の死を無駄にせず今度こそ薬物を断ち切って」といったエールも続々とあがっています。

 

志村さんの悲報を聞いて悲しむ日本人が世の中に多いことでしょう。昭和、平成、令和を叉にかけ全国のお茶の間を楽しませアゲてくれたコントのレジェンド。今は亡き志村さんは、私たちの中に笑いの幸せの余韻を残したまま天国からこれからも私たちに向けて微笑んでくれていることでしょう。

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