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歳を取るほど意味が分かって泣けてくる「家族ゲーム2」最終回、慎一の進路先厨房シーン

歳を取るほど意味が泣ける「家族ゲーム2」長男・慎一の進路先厨房シーン

自分が選んだ進路に、自信を持って生きている大人がどれだけいるのでしょう?分からなくなって、迷うことがありますね。選択を迫られる場面で、あえて困難な道を選べる人がどれだけいるのか。

安易な選択肢があれば、誰もが当然とばかりにその道に飛びつくのが実情。はたして、それって本当に自分のために正しい選択なのでしょうか?

「家族ゲームⅡ」グッバイ青春

1983年8月に始まったTBSドラマ「家族ゲーム」は、全6回放送されたのち9月30日に終了し、翌1984年4月から7月にかけてパート2が放送されました。その後、パート1の続きを描く1、2シリーズ通しての完結編が1985年4月5日に再び放送されます。ここで紹介するのは、当面の最終回を描いたパート2の最終第11話、です。

「愛を責めずにセイ・グッバイだぜ・なのダ」

家族ゲームといえば、いじめられっこで勉強もスポーツもダメな劣等生の次男「茂之」と、彼のために派遣された型破りな家庭教師「吉本」との荒々しい交流と成長の姿が描かれたドラマです。現在50歳前後の方々なら、思い出深いドラマとして覚えている方もおられるのではないでしょうか。

家族とすらまともにコミュニケーションをとることもできない茂之は、親が用意してくれた家庭教師すら意図的に困らせ、ことごとく追い払ってしまいます。その何人目かに訪れた家庭教師として、ドラマで長渕剛が演じた「吉本 剛(よしもと ごう)」が派遣されてくるのです。

忌まわしき偏差値教育

ドラマ放送当時、1980年代は、大学入試で共通一次試験のはじまったころ。高校入試においても1点差を争うたった1回のペーパーテストの点数が、その後の人生を左右してしまうような時代でした。

そして、入学に要求される偏差値の少しでも高い学校に進学することが、その後の大学入試や就職での条件を良くし、ひいては一生を通しての成功失敗を決めてしまうような教育システムにあったのです。

進学塾、家庭教師全盛時代

ドラマで描かれる沼田家も、そのような時代の教育に熱心な家庭として描かれていて、時々奇声を発する茂之だけでなく、親も安心している優等生の兄、慎一も、無言のプレッシャーに押しぶされる少年として描かれています。

選択

やがて、茂之は持ち前の執着性質と吉本の指導から、学校でトップクラスの成績を残す優等生になります。兄の通う地元で有数の進学校に自分自身も合格し、ただただ勉強だけできる、テストで高得点をマークすることだけができる子供になっていくのです。

最終話ラストシーン

次男の茂之については、その後実家が得た資産をもとにさまざまな事業をすすめる姿が描かれます。今思い返せば、茂之のその生き方も、何の違和感もなく見ることができます。それも素敵な人生です。

一方、長男の慎一は、地元で一番の進学校とされる高校から、難関大学に進む道を捨て受験を放棄し、自分が本当に好きだった料理人を目指すわけですが、こういう選択をすることへの魅力が、今の自分にはとても分かるのです。遅いのですが。

素敵な人生

目の前にぶら下がる分かりやすい得に、人は飛びついてしまうものです。もちろん、それが常に間違いということでは決してありません。それは、大人であれば誰もが知っていることです。

生産力

でも、このドラマの登場人物である10代の少年たちが、そういったことを理解できないのは当然のことです。大人でも子供でも同じですが、安易に得られるものに囲まれ、自分が成長し学ぶことのない状態が長く続くことに、本能的な危機感を抱くのは、人間に共通することでしょう。

人はお金や具体的な食料や資産を得てそれを消費して生きていくのですが、今もし自分が何も持たない者だったとしても、自分の力でそれらを生み出すことができれば、自分は永遠に安心です。いつでも、それを自分で生み出せばいいのですから。

悪いことではない

もし、幸運にも自分が自ら汗をかく必要もなく、生きる糧を他から与えられ生きていくことが許される立場にあったとしても、その与えられる権利が消えてしまえばその者にもはや生きていく術はありません。そのまま死んでいくだけです。

寿命分の財産がきっちりとプールされていれば一生それを食いつぶして生きていくことはできます。それも、自分の物なのだから何も悪いことではありません。

ただ、ほとんどの一般人に、そのような保証を持つものはいないと言っていいでしょう。

自分で決める力

兄の慎一は、以前から抱いていた料理人になるための道を選びました。そして、彼の選んだ修行の場は、名の知れたレストランや料亭などではなく、今の自分で修行させてもらえる最低限の場所「キャバレーの厨房」でした。とにかく「いま、ここから」自分にできることを、彼はスタートしたのです。

挑戦するということは、特別な場所を選んで今の場を捨てそこに出向き、特別なやり方を選びやり直すことではありません。「今、自分のいる場所でできることをその場でやる」だけのことです。

慎一が、その理屈を知っていたのかどうかは知りません。しかし、彼がその事実に気付き、誰が何と言おうと自分の意志で自分の選択肢を選び切った以上、その結果がどうなったにせよ、彼は確実に正解を選んだと言えます。

設定上、彼はまだ10代のはず。迷いの多い中高時代を経て、慎一は本当の成功を収めたと言えるのではないでしょうか。

ドラマ前半のシーンで、慎一が吉本にボソっともらした本音「料理って、きれいですよね」という言葉が、彼にとっての何よりの正解を暗示していたのだろうと思います。

慎一は自分の人生を自分で作る道を選びました。それが何より、自分が幸せになるための確実な方法だったから。

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