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障害を理解しようとする、そのものが違う。

精神障害 理解

精神障害を理解してほしい。

ずっと、そう願ってきた。

しかし、現実は厳しい。

精神障害への理解を求めるための本や、ウェブサイト、当事者の体験談など……こういったものが世間には溢れている。

けれどもそれが上手く響いているように、私はいまひとつ思えないのだ。

何故か?

それは精神障害に、テンプレートが存在しないからだ。

一概に「精神障害」といっても、その症状は十人十色。

幻聴や幻覚。

感情のコントロールが出来ない。

眠れない。疲れやすい。

これはほんの一部で、更に細かいことを言い出すともっと沢山の症状がある。

病名もそうだ。

統合失調症や双極性障害、うつ病、人格障害……、これだけじゃあない。まだまだあるのだ。

こうなってくると病名が同じでも、その人によって症状が違ったり、

様々な症状に埋もれて全容が見えず、そもそもの病名が上手くつかないこともある。

これでは、「精神障害を理解してほしい」と言っても、間違った理解をされてしまうことが起こってしまうように私は思う。

それでは、精神障害者への理解は進まないのか?
しかし、そうであってほしくないと、私は強く思っている。

私たち精神障害者を理解しようとしたとき、多くの人はその病気を理解しようとするだろう。
けれどもそれでは、前文に書いたように、上手くはいかない。

つまりは、理解するのは病気ではないのだ。

その病気を抱えている「本人」を理解していくことが必要なのである。

精神障害は、心、そして脳の病気だ。
だからこそ、その形は複雑で、多種多様である。

社会に、色んな人がいて、多種多様であるのと同じだ。
皆、きっと、人と接する時は、その人を理解しようとするだろう。

私は、精神障害を理解してくれとは言わない。

しかし、精神障害を抱える人をただ、「精神障害者」として見るのではなく、精神障害と共に生きている「1人の人」として見て、理解をしてほしいと思っている。

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