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軽んじられる「男性」へのセクハラ意識

中学の男子トイレ丸見え状態を35年間放置

資格試験を受けることの多い私は、試験会場という理由で大人になった今でも学校の門をくぐることがあります。TOEICであれば大学がほとんどですが、英検なら中学のこともあります。

試験開始前は決まってトイレに行きますが、いまどきの学校のトイレを利用して思うのは、昔とあまり変わっていないということです。プライバシー保護の意識が高い現代なら、男子トイレにもきっちり仕切りが整備されていると思っていました。

男性用トイレは女性用と大きく異なり、壁で囲われていません。仕切りは無く様子は丸見えです。おかげで、男子トイレの回転率は高く、利用者が殺到しても女性トイレほど混むこともありません。

ただし、用を足している最中に隣の様子を見ようと思えば見えます。こういったトイレの構造が嫌だと思う男性にとっては、毎回の排尿は苦痛なのかもしれません。

男性は恥ずかしくないという神話

男性用トイレは俗に「金隠し」とも呼ばれ、意図的にのぞき込めば使用中の様子が見えます。男性であれば誰でもご存知でしょう。しかし、日本文化はなまじ強制的に、男性なら見えても気にしないことを、男性に求めてはいないでしょうか。

もしそうだとしても、それは昔の価値観に基づいた、古い世代だけの思い込みかもしれません。あるいは、男性用トイレを苦痛に感じてきた男性は過去に遡ってこれまでも多く存在し、苦痛を声に出すことさえ我慢しなければならないような歴史だっただけなのかもしれません。

鹿児島県立図書館学習室

鹿児島市城山町に、鹿児島県立の図書館があります。そこは古くからある建物で、私が大学受験のために利用していたころから場所も変わっていません。建物の3階には学習専用の広いフロアがあり、そこには300席以上が確保できる長机がずらりと並んでいます。

多くの机が並ぶその後方に、学習室専用の小さなトイレが設置されています。約30年前、私が学習用に利用していたころから内装はほとんど変わっていません。ただし、2カ所を除いては。

入り口はもともと、上半身しか隠せない縦1メートルほどの板がペラペラ開閉する「スイングドア」で仕切られているだけです。そのドアに変化はありませんが、中が丸見えになっている入口の上端から下端までが、今では薄いカーテンで仕切られています。おかげで、トイレ内が学習室から直接には見えなくなっています。

トイレの内部も、ついたてとなる薄く白い布で入り口からの視線が遮断されています。これらの変化から察するに、ここの学習室を利用して不都合を感じた私以外の誰かが、学習室トイレについて苦情を訴えたのかもしれません。あるいは、図書館の方でようやく自主的に気付いた可能性も考えられます。つまり、旧来の内部丸見えトイレは男性も嫌だと感じることを、図書館側がようやく認めたということになります。

男子トイレへの一石

2018年10月27日に京都府亀岡市議会で中学生議会が開かれました。議会には同市の大成中学校の生徒が出席し、自分たちの男子トイレについて改善を求め訴えました。

廊下から丸見え

同校の校舎は鉄筋コンクリート2階建てで1983年に建設され、各階に3カ所ずつ生徒用のトイレが設置されています。そのトイレは、男子が用を足す姿が入り口の廊下から丸見えらしく、その状態が35年間放置されていたとのことでした。

トイレは間口が1メートルと広めに設計されており、男子生徒からも廊下を通る女子生徒からも「恥ずかしい」との声が上がっていたということです。

もし大人が使うトイレだったら

議会に出席した同校の生徒はトイレの改修を強く求めました。しかし、議員の答弁に改善を示す前向きなものは見られなかったとのこと。そこで生徒は「このトイレがもし市役所にあったらセクハラと騒がれるのではないか」と訴えたとのこと。その言葉が、最終的に議員の行動をうながしたとされています。

男性が性差別に声を上げることへの風潮

京都府亀岡市の大成中学校にはその後、数名の市議が訪れ現場を確認。議員からは2018年内にトイレにパーティションを設けるとの回答が得られたそうです。

大人に意見する子供の心理

図書館に中高生が多く集まることは、地元の公立図書館を訪れれば分かっていただけると思います。男子トイレで、いちいち中をのぞき込む人間がいるとは思いませんが、そういう類の人間が絶対に存在しないとは限りません。図書館としては、利用者が中高生中心であることを踏まえ、不満があっても大人へ主張することをためらう子どもの心理まで思いやるべきでした。

男性が性差別に声を上げることへの躊躇

この問題で生徒の立場が男女逆で、廊下を歩く男子から女子用トイレが丸見えだとしても、やはり35年間放置されていたのでしょうか。

おそらく、あっという間に何らかの対策がとられたか、そもそもそういう設計での校舎建設が認められなかっただろうと思います。そして、そちらのほうが当たり前です。

男女ともに使うトイレについて、女性であれば当たり前の苦情なら、男性が同じことを苦情に思う気持ちも否定できません。しかし、男性が受けるセクハラについての問題意識は、この日本ではあまりに軽んじられ過ぎです。相談する窓口も少なく、男性がセクハラ被害で相談すること自体に、女性ほどに同情を得られる機会は少ないのではないでしょうか。

個人の悩みは外野にはいつも小さな問題

「横から丸見えの男性用便器が苦痛です」と相談すれば、「男のくせに」小さなことを気にするやつといった批判を、少なくとも35年前の日本では受けたのかもしれません。

大人に意見する少年の心理

自分がすでに大人で、様々な知識が身についているなら、それほど緊張することなく不満を主張できるのかもしれません。しかし、普段「(学校の)先生」として接することの多い大人に、自分の意見をきちんと主張すること自体、難しいことでしょう。

配慮は大人が自主的にとるべき

大成中学校の例では、議会で直接訴える機会が生徒にありました。しかし、全国すべての市区町村で、今回と同じような機会が得るのは難しいでしょう。

解決した問題は1つ

今回の「パーティション」を設けるという回答は、改善の一例です。言い換えれば、まだ一例しか解決していないということです。学校など閉鎖された空間で行なわれることに対し、児童生徒を守るためにも、私たちは常に「かもしれない」という意識を心に留めておかなければなりません。

かもしれない運転

「いじめがあるかもしれない」「教員による生徒へのいじめがあるかもしれない」「相談できず悩んでいる生徒が黙って苦しんでるかもしれない」「学級崩壊が起こって授業が全く進んでいないかもしれない」「教員による生徒へのみだらな行為があるかもしれない」その他、過去に発生した事件はもとより、世相を反映した今後起こりうる事件の危険性について事前に想定する必要があります。特に、学校に子どもを預ける親にとっては、それは最低限の危機意識ではないでしょうか。

閉鎖された空間で、第三者の目が届かぬまま授業が進んでいくことが当たり前とされる日本の学校でのことなら、なおさらでしょう。

まとめ

京都府亀岡市の大成中学校で、男子トイレの様子が通路から丸見えである事例は、一応解決したことになったようです。しかし、弱い立場の者が泣き寝入りさせられることの多い日本において、私たちは常に自己防衛としての「かもしれない」といった危機意識を持ち続けるべきだと思います。

そういった良い意味での神経質」を維持することが、あらゆる些細な問題を漏らさず議題に上げ解決に導くための、決定的な切り札になるだろうと思うからです。

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