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三浦綾子『孤独のとなり』『氷点』人間の本質を暴く作家

孤独って何だろう?『孤独のとなり』三浦綾子

「私は孤独です、友達も少ないし恋人も私から離れていきます。寂しくてたまりません誰か私と仲良くなって欲しいです」というようなことを言う人って、孤独なのでしょうか?

あまり孤独ではないでしょうね。この方は、まだ誰かを求めています。希望があるということです。本当の孤独というものは、なにかを求める姿ではありません。本当の孤独とは、全てを拒絶する姿です。愛情を注がれても、自らその愛をはねつける姿です。すべてを諦め、誰にも期待しなくなったとき、人は本当の孤独に陥ります。そして孤独は、何よりも強い精神的な武器にもなり得るのです。

孤独とは何?

将来への可能性が残っていると自覚のあるうちは、失われていくものが惜しく感じられます。それが、寂しさや孤独を感じさせます。しかし、寂しいという感情がある間は、まだまだ孤独とは言い難いでしょう。それくらい、孤独は自覚の難しいものです。本当に孤独に浸りきってしまったら、孤独を何も感じなくなるからです。どんな愛情も煩わしく、はねつけてしまうでしょう。本当に孤独なら、寂しいという言葉すら発することなく、ひとり黙って生き、そのまま一人で死んでいくだけではないでしょうか。

『孤独のとなり』

『孤独のとなり』は、作家、三浦綾子によるエッセイ集です。

愛への出発/生き続けるということ/様々な生き方の中で/人の子として/私の周辺から/折にふれて思うこと

それぞれの章から成り立っています。クリスチャンである三浦の散文ということで、信仰という言葉が多く見受けられます。そのあたりの解釈は、読むほうで参考程度にしておけば、作品全体の内容は普段の生活に役立つ、多くの警鐘にあふれています。人とは、同じことをしても自分には甘く、他人には厳しいものです。勤勉に努力する人を見ると、人は自分の怠慢に焦りを感じ、自らを戒めるのではなく努力する他人を「イヤな奴」とさげすめることを選びます。

三浦綾子という人

三浦綾子は北海道旭川市出身の小説家です。結核を患いクリスチャンとしての洗礼を受けます。彼女を一躍有名にしたものが、賞金1,000万円の懸賞小説での入賞でした。

『氷点』

投稿作品『氷点』は入選し、新聞に連載され、後に出版されます。同作は1966年に映画化され、さらに何回にもわたってテレビドラマ化されました。三浦綾子という名前を「氷点」で覚えている方は多いでしょう。明るく朗らかで愛にあふれる主人公「陽子」が、小説のテーマである「原罪」を自らに知る場面―陽子の心の氷点―は、人間が生まれながらに持つ拭いようのない罪について語られます。三浦綾子の作品は他にも、

列車の脱線事故に遭遇し、多くの乗客の命を救うため自らの1つの命を差し出そうとする青年の姿を描いた『塩狩峠』

人が人を裁くことの意味を問う『裁きの家』

など、人間の本質を追求しようとする、意欲作が多数あります。

作品に見る孤独

「氷点」では、主人公の陽子が、自分が養父母である両親の実の子を殺した殺人犯の娘であるということを知り自殺未遂します。自らの存在自体を否定し死を選ぶ陽子は、強い孤独感に苛まれていたのでしょう。近ごろは、淋しい淋しいとSNSなどの何らかのつながりが過剰に求められ過ぎてはいないでしょうか。それは、あまりにも「つながりすぎ」てしまう技術の弊害ともいえるものでしょう。

孤独は、成長するために必要な最も密度の濃い時間です。誰の人生にも度々訪れる、視野を広げるための貴重な思考の機会です。それなら、孤独な時間を自分の成長に生かし学び思考し、成長のために使うほうが、より良く生きていくことができるのではないでしょうか。

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