みんな上手いこと言おうとしすぎ!SNSは利便性!
記事の素材を調査するためTwitterで世間の発言を調べていると、ツイートのつぶやき一つひとつが丁寧に書かれていることに驚きました。自分が誰なのか特定されるわけでもないのに、自分のアカウント名での発言が他のユーザーに高く評価されることを意識したようなツイートが並んでいます。
身もふたもないようですが、頑張って上手いこと言って、その後その人にどのような得が残るのでしょう。自分という個人に特定して賞賛の声が届くことはありません。まして、つぶやいた文字数分の原稿料が入ってくるわけでもありません。熱心にTwitterの文言に工夫をこらしてウケに気を配るあまり、気を使いすぎて精神的に疲れないか、心配です。
上手いこと言ってるTwitter例
高校生のとき授業中に遅刻してきたギャルがクラス全員に視線を向けられて言った「やば!視聴率100%じゃん!」を今でも時々思い出しては笑う
— とと (@mitotomori) 2018年9月11日
ポジティブは突き抜ければ才能です。
KAGOMEの「本当に野菜が足りている人は、わずか5%」という車内広告を見て、「じゃあ野菜が足りなくても割と大丈夫なのでは」と思ったりなどとしている。
— でんでん(吉祥寺在住) (@de__n) 2016年12月6日
確かに、不足してるのになんとか生きてますね…でも野菜は食べたほうがいいですよ
本当に耳を傾けるべきは「プロのアドバイス」と「素人の感想」であって、最も耳を傾けてはいけないのは「プロの感想」と「素人のアドバイス」なので、業界に精通する人間が「すげえ」と言ってても深追いしなくていいし、体験してないことを「こうしたほうがいい」と言ってる人間の話は聞かなくていい。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) 2018年10月14日
感想にとどまってしまえばプロの価値が享受できないし、素人は責任感なくべらべら喋るだけですからね。
自然に生まれた名言はおもしろい
どんな言葉でもそうですが、本心から漏れた言葉ほど人の心を打つものはないでしょう。逆に、作り物の言葉は、意図が分かった瞬間に冷めますね。おもしろいツイートも、同じことだと思います。読んでくれる人に楽しんでもらおうといった親切心の結果だと思うので、バッサリ切り捨てるのも忍びないです。
自分の楽しみとして上手な文をつくる以外は、Twitterは基本的に楽しむために余暇として、割り切って使えばいいのです。仕事のツイートなら、そんな悠長な使い方できませんから、個人アカウントの場合であれば。
言葉を評価しすぎるのやめよう
ニコ生やAbemaTVは、生放送の動画にコメントを送ることができます。ニコ生なら、瞬時に思い浮かんだ言葉をタイプし画面狭しと流すこともできます。AbemaTVなら、画面右端にコメントが流れます。「視聴者は本当はたくさんの意見を持っているんだ…」というのが、私の率直な感想です。同時に、それならどうして、彼らはリアルな世間で建設的な言い合いやディベートが出来ないのだろうと疑問です。
まとめ
Twitterに限らず、SNSにはたくさんの種類があります。Facebook、LINE、Instagram、その他日本ではあまりメジャーではないものまで含めればもっとあります。その中でも、現代における巨大な意見の堝(るつぼ)となっている媒体がTwitterといえるでしょう。
かつて昭和では、深夜ラジオにハガキを送り、読まれるかボツになるかドキドキしながら3週間も待つようなことがありました。若者のさまざまな相談ごとが司会のタレントやミュージシャンに送られていました。その深夜ラジオ的な役割を、未来はTwitterが担うのかもしれません。そういう意味では、コメ欄で言い合いするのも、投稿する1フレーズに魂を込めて気の利いた言葉を紡ぎ出すのも、教訓を得る工夫として必要だろうとは思います。
非常識は時間を糧に常識へと変貌するものです。
だからこそ、Twitterで上手い文を書く書かないにこだわらず、もっと気楽にSNSを楽しみましょう。どんなものでも購入(利用)を決定づける要因は「機能性と安さ」ではありませんか。