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いじめ自殺するくらいなら学力という武器を使え―夏休み最終日8月31日の夜

いじめ自殺するくらいなら学力という武器を使え―9月1日直前の夜に

本来持っている学力は極めて高いのに、学力の低い生徒からひがみを受けるなどして勉強の集中を邪魔されたり、いじめを受ける子どもがいます。

穏やかに勉強を進められる環境さえあれば、いくらでも学力を伸ばせるのに、わざわざ環境の悪い教室にいじめられに行き学習効率を下げるなんて、もったいない話です。

今の学校は、自殺する子どもが出ても、いじめを認めません。

死ぬために学校に行くくらいなら、自分にとって最大の武器である学力を生かし、大人になるまで生き延びる対策をとるべきです。

学生時代を失うのはもちろん損

学校に無理に行くなという意見に変わりはありませんが、中学、高校時代をまるごと失うのは人生にとってもちろん損です。

死なないために

意味のない苦しみを自ら負って、その結果自分で死んでいくことに誰も責任はとってくれません。すべてが終わってしまえば自分の責任である死が残るだけです。

だから、大事なことは「対抗手段を取る」ということになります。もちろん、自分が責任を取る必要のない不当な攻撃を一方的に浴びせられることもあるでしょう。つまり、そもそも対抗手段を取る義務すら無いような例がほとんどです。

しかし、いじめという依存行為に走るようないじめる側の人間が、いじめる行為から自ら手を引くような賢明な考えを持つわけがありません。

学校ではびこっている現在の「いじめ」は、いじめという用語がふさわしくないぐらい刑事罰的に見ても犯罪に近いものです。

高認+大学入試

勉強は簡単です。相手のことは考えなくていいし、自分一人でひたすら努力という行為を突っ走ればいいだけだから。

中退はもちろん、はじめから進学しなかった場合も、高校の教科書は書店で買えます。教科書を扱う書店は都道府県ごとに店舗数が限られていますが、通信販売を行っている販売所もありますから、手に入らないことはないでしょう。

たくさん覚えて高等学校卒業程度認定試験に合格し、その後一般入試で大学、短大、専門学校などに入学すれば、学歴はそこからリセットできます。

産業翻訳者の話

私が産業翻訳の仕事をしていた当時、私よりはるかに多くの受注を受けていた、年上で業界的にも先輩の翻訳者が身近にいました。

学校にほとんど行けない

その方は、子供のころからほとんど学校には通えませんでした。

彼は学校でいじめられていたというわけではなく、身体が弱く病気を頻繁に繰り返したという理由で、学校にほとんど行けなかったということでした。友だちには恵まれていたけれど、自宅で臥せていなければならなかったのです。

できることなら学校に通いたかったという人ですから、ここでお話する対象の方とは条件が違うかもしれません。

でも、その方もおおいに参考になる生き方をされています。彼は本が大好きで、外に出られない代わりにたくさんの本を読む子どもでした。

読書の対象は日本人作家の域にとどまらず、海外のミステリーやSFにまでおよび、日本語訳されたものにすら収まらなくなりました。

彼は原書を買い、意味もわからず文字を追いながら辞書を引いたり自分なりに英語を学んだり、ひたすら音読したりしながら、何年もかけて数百冊のペーパーバックを読み漁り、独自に英語を身に付けました。

学校以外の道もある

彼と同じことをしろというのではありません。彼のような人生を今から歩むのは、よほどの偶然でもない限り難しいことだと思います。

大切なことは、生き方にはさまざまな道があることを知る、ということです。人生は、学校を卒業し会社員になるだけではありません。

ある一分野に特技を延ばし、彼のようにフリーの産業翻訳者として活躍する生き方もあります。もし彼が普通に学校に通っていたら、翻訳者にはなっていなかったのかもしれません。

ただし、彼にとってどの運命が最も幸福だったのかという点については、彼自身にも分からないことです。本人が、自分の人生に満足していたのかという点も、私の側から見れば不明です。

学校をスキップして生き延びる

学校での学習内容が自分の学力に見合わないくらい低いレベルで、学力を上げるという視点だけなら学校に通うことに意味がないくらい、学力だけが極めて高い生徒がたまにいます。私は、たまたまそうでした。

学力という武器を振りかざせ

教員すら不要で、本のような素材さえあれば1人でいくらでも学力を伸ばせるだけの学力があるなら、わざわざいじめられる環境に入って効率の悪い勉強をする必要はありません。

ましてや、身に付けた学力を発揮する場である社会人になる前に自殺してしまうくらいなら、学校に行く必要などありません。

死んでしまうのに、何のために勉強するのですか?
校舎という建物に向かうことだけに何の意味があるのですか?

自分自身とは無関係な、他人である「そいつ」の問題でしかない学力の低さから来るひがみの犠牲になり、意味もわからず毎日地獄のような学校に向かい精神的に破綻するだけのために、学校に向かう必要などどこにあるのでしょう?

自分を守るために学校を休む必要があるなら、休みましょう。大切な命の責任など、他人は誰も取ってはくれません。通っている学校の校長でさえそうでしょう?

10代を一人で過ごすということ

ただし、学校に行かないことや退学するということは、本人にとって損であり妥協の結果であるということを、加害者のいじめる側は知っておくべきです。

貴重な10代を学校なしで生きることの損害は、大人になって出ます。そうなってしまうまでに、自分が1人の人間を追い込んだのだということを自覚して、自分自身がどういう人生を送ることになるか知っていけばいいでしょう。

不登校や引きこもりという結果で学校を諦めた側は、自分の命を優先して正々堂々と独自の人生を歩んでいきましょう。

一時的に、いじめる側のことは許してしまってもかまいません。
ただし、決して忘れないことです。

許すが、忘れない」ということ。人生は20代以降も長く続くし、どの時点で自分が幸福になるのかということについては、分かりません。

きちんと謝罪させる機会がどこで得られるのかも分かりません。

仕返しする必要はないけれど、精神的にきちんと落とし前つけさせる機会は残っているかもしれないことぐらい、いじめの被害者として死ぬ寸前まで追い込まれた側の人間なら、黙って待ち望んでもいいのではないでしょうか。

番組紹介:夏休みの終わりに、特別番組が放送されます。

8月31日(金曜)22時00分~23時00分:NHK Eテレ
ハートネットTV+ #8月31日の夜に。2018年夏休み ぼくの日記帳 第1部

9月1日(土曜)0時00分〜0時30分:NHK Eテレ
同 第2部

8月31日(金曜)20時45分~9月1日0時30分:ライブ配信
ハートネットLIVE ~ぼくは、ぼくのままで生きる~(番組関連情報HPへのリンク)

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