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2024/12/10:フリーペーパーvol.105発刊!

鹿児島県と青森県の秘密、方言から探った両県の繋がり

私が20代で栃木県に住んでいた時、青森県出身の子と仲良くしていました。
今でも連絡取り合っています。

その子のお母さんが、栃木に来られた時、お会いしたんですが、ホントに何を話しているのか分からず、友達に通訳(笑)してもらっていました。
その時に出てきた言葉にビックリしました。

北と南で方言って似るの?

その子のお母さんが発した言葉は「あんべが悪い。」
鹿児島の方なら分かると思います。
鹿児島弁で言うと「あんべがわりがよ〜。」

他にも言い方はありますが、だいたいこんな感じで使います。
最近は鹿児島弁を使う事もなく、おじいちゃん、おばあちゃん、父、母世代位の方しか鹿児島弁は使いませんね。

そうそう!
あんべが悪い。」の意味ですが、「具合が悪い、体調が悪い。」と言う意味です。

意味も青森の友達に聞いたら、同じでした。
そこで疑問に思ったのが、青森と鹿児島って何か繋がりがあるのか?と言う事です。

最近、安室ちゃんファンのアム友さんにも青森の子がいるので聞いてみたら、「あんべが悪い=具合が悪い。」と言う事をまた確認しました。

その子と一緒に「鹿児島と青森何があるんだろう?」と気になり、これは調べるしかない!と思い、私一人の力なのでどこまで調べられるか分かりませんが調べてみました。

全国にはさまざまな方言があるが、とりわけ難解なのが青森弁と鹿児島弁。

青森は津軽藩鹿児島は島津藩ですが、この二藩の方言が難解なのは藩を守る為だったと言われています。

津軽藩はサハリンやロシアと、島津藩は琉球や東南アジアと密貿易をしていて、国境に来た者に方言で話し掛け、通じなくて怪しい者はその場で切り捨てたと言います。

津軽藩が密貿易をしてたかは、この時代の歴史に詳しくないから分かりません。
ただ、島津藩津軽藩も江戸幕府から遠距離にあり、密貿易はしやすかった事でしょう。

次にアクセント
鹿児島二型式アクセントと言う九州特有のアクセントですが、東北南部は無アクセント(U字工事のような平板アクセント)北部は東京式アクセントですが「低低低高」と言う様な発音がある為、かなり異質に聞こえます。

鹿児島のアクセントは二型式と言う事で、体系としては全然違う物ですが、共通点と言うと、鹿児島もやはり「低低低高低」と言う様な発音があるので、それが似ている様に聞こえるのではないか。と言う所までしか調べられませんでした。

 

 

他にも似ている所がある!?

地図を見て、どちらの県でもいいですが、鹿児島県をそのまま回転させて青森県に当てはめて下さい!すっぽりはまりませんか?

津軽半島が大隅半島で、下北半島が薩摩半島
八甲田あたりが霧島山になります。
そして、旅行する時は通訳が要る。もちろん昔の話ですけど。

両県とも水田稲作には本来適さない風土であり、アイヌや琉球との交易がありました。
あと、青森県が津軽衆と南部衆に大別できるように、鹿児島も大隅と薩摩に分けられます。
そして不思議な事に、津軽と大隅南部と薩摩、それぞれが妙に対応します。

津軽の「ねぷた」は有名だけど、由緒がよく分かりません。
大隅にも、謎の巨神・弥五郎どんの祭りがあります。

下北半島に恐山がある様に、薩摩半島の指宿には隼人族の奥津城があります。
奥津城は墓場の事です。
恐山といえば、イタコ。
薩摩も負けてはいません。

「続日本紀」の朝廷官吏脅迫事件に登場する“薩末の比売”は、隼人族の女性シャーマンです。
奥津城近く出身の薩摩おごじょがいて、彼女の霊能力がまたハンパじゃなかったらしいです。
薩末の比売の子孫ではないかと言われています。
鹿児島県人が隼人とよばれてた頃、青森の人々は蝦夷と呼ばれていました。
日本書紀では、蝦夷の本拠地は「都加留」だと認識されています。
今の津軽です。

鹿児島でも、大和朝廷に徹底抗戦したのは大隅隼人の方でした。
幕末に錦の御旗を掲げた島津家の薩摩は、隼人の頃から勤皇でした。

商売っ気でも、中世に西の博多と並び称された津軽の大貿易港・十三湊と、ザビエルで知られる大隅の国際貿易港の根占が、またまた繋がります。

では南部と薩摩は?
と言えば、八戸南部藩の最後の藩主が、島津重豪の五男信順だったとはビックリです。
今も交流会があるそうです。

島津重豪はあの将軍家斉の上を行ったゴージャス殿さまだそう(笑)。
質実剛健がウリの薩摩ですが、こんな人もいたみたいですね(笑)。

幕末の津軽藩は、奥州同盟を破棄して官軍に寝返っています。
薩摩は官軍だけど、西郷隆盛に代表される気質からすると、このテの変わり身は大嫌いだったと思います。

話は神話時代に飛びます。
島津といえば、島津大人(シマツウシ)と言う神さまがいます。
島津家とは縁もゆかりもない、出雲のオオナムチの御子神です。

日本書紀では、オオナムチは出雲から天の日隅宮に遷されます。
この天の日隅宮が、津軽にあった可能性がある。

岩木山にはオオナムチ降臨伝説があり、岩木山神社の祭神は、遷し国魂の神だ。
さらに日本武尊の蝦夷討ちでは、蝦夷の首領を“島津神”と言います。
島津大人の子孫が「都加留」を治めていたのだろうか・・・。

一方、熊襲討ちのクマソは、大隅の(旧)贈於地域だといわれ、津軽と大隅は日本武尊を通しても繋がってきます。
考古学の世界では、青森の三内丸山遺跡と同時期に、鹿児島でも上野原遺跡が見つかりました。
ともに歴史を塗りかえる世紀の大発見です。
両県の方は大いに自慢して欲しいと思います。
十三湊遺跡が長い眠りから覚めたのも、この時期です。

さらに出雲では、宇豆柱の発見。
90m級の往古の大神殿を彷彿とさせる発掘です。
三内丸山の大型掘立柱建は、出雲高層神殿に繋がるのでしょうか?
こうした発掘の連鎖を一つの流れで捉えると、何かが見えてきそうで面白いですね。

もし青森と鹿児島が入れ替わったら?


※それぞれ「両県が180度反転した上で入れ替わったら」と仮定して下さいね。
1,鹿児島湾が「陸奥湾」、陸奥湾が「鹿児島湾」と言う事になります。
・宮崎県の一部も巻き込まれます。
・両県の形(カタチ)的には、入れ替わっても違和感ないですよね。

2,陸奥湾内に桜島が存在するため、噴火によってカキの養殖は困難になるかもしれません。
・何故桜島はそのままなのか?
・本土と繋がっているからだと思われます。

3,霧島山と十和田湖も入れ替わっています。
・南九州の「シラス台地」は存在しない事になります。

4,現実の霧島市付近が青森市、横浜町付近が鹿児島市となります。
・現実の弘前市付近は都城市になってしまいます・・・。
・八戸市と出水市の位置も入れ替わります。

5,青函トンネルは南大隅町の先端から北に伸びています。
・地図を見る限り、トンネルは函館市の汐首岬に抜けています。
・北海道新幹線の新函館駅は渡島大野ではなく五稜郭付近。
・江差線はずっとローカル線のまま。
・青函トンネルは東北第2に当たる60万都市をスルーし、10万都市側を通る事になります。
・鹿児島市も通した上で、トンネルで桜島海峡を潜り鹿屋市に通すかもしれない。
・その場合おそらく鹿児島中央駅は地下駅になるが、大隅半島で地上に出なければこの部分も青函トンネルの一部としてさらに長いトンネルとなっていた。
・それ以前に青函トンネルではないですね。隅函? それとも鹿函?

6,鹿児島県島嶼部の運命は…?
・もしこっちも置き換えた場合は一部が北海道と被りそうですね。

7,薩摩芋じゃなくて津軽芋・陸奥芋?
・リンゴの一品種が「薩摩」。
・ウンシュウミカンが欧米では、「mutsu」。
・気候がそもそも変わるので栽培出来ないのでは?

8,それでも「黒酢にんにく」の立場は変わりません(笑)。

9,秋田に2つ目の中核市が誕生。^^;
・秋田と弘前の県庁誘致合戦の結果、中間地点に建設されたのが宮崎市となっていた(笑)。

10,陸奥親方(元大関霧島)は文字通りみちのく出身と言う事に。

11,嘉門達夫ネタの「博多~博多~、次は~…八戸」が現実の物になる!?。
・結果、熊本の全駅をスルーされてしまう為、熊本人大激怒。^^;

12,西南戦争が東北戦争になっていた。

13,鹿児島人全員凍死。青森人全員熱中症。^^;

14,南日本放送はe-JNNを脱退して改名する。
・そして代わりに青森テレビはe-JNNのグループ入り。

15,開聞岳のイタコが有名に。

16,♪上野発の夜行列車降りた時から 鹿児島駅は雪の中
・西鹿児島駅(鹿児島中央駅)になっているかも。(笑)

17,新青森駅と鹿児島中央駅の名称が逆になっていた。
・新青森→青森中央、鹿児島中央→新鹿児島

18,肥薩おれんじ鉄道と青い森鉄道の名前が変わっていた。
・肥南あっぷる鉄道?

19,東国原英夫は鹿児島県か秋田県の知事になっていた。

20,入れ替わるのは山口県とじゃないんだ。

21,九州新幹線は青森~八戸~新八代間が先に開業し後は史実通り。

22,八戸市は久慈市の代わりに水俣市を植民地化する。

長くなりましたが、後半個人的趣味になってしまいすみません(_ _;)
この記事を読んでほうほうとうなずき、後半笑って読んでくれたら嬉しいです。
これからも青森と鹿児島の謎を追求していこうと思います!

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