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なぜ「スローフード」は良くて「ファーストフード」はダメなの?

近ごろの日本で「スローフードスローライフを推進している」と言えば、好意的に受け入れられることが多いでしょう。

反対に、ファーストフード、ファストファッションなどと言うと、大量生産大量消費の代表として、あまり好意的には受け取られないかもしれません。

スロー」は良くて「ファースト」は駄目。
分からなくもないですが、そんなにきっちり二分して、優劣がハッキリするものか疑問が湧いてきます。

ファーストフードって何?

日本におけるファーストフードの元祖といえば、古くは蕎麦、鮨、などありますが、ここで取り上げる「ファーストフード」の代表格といえば、マクドナルドのハンバーガーあたりを指すのではないでしょうか。

食べ物の好みは個人的なもので、味の良し悪しを一般化するのは難しいのですが、現代のファーストフードは栄養価健康などの点で、あまり優れた食べ物とは言えないのかもしれません。

特に日本には、新鮮で栄養価の高い、美味しい食材と料理が古くからあふれています。
単価的にそれほど安いわけでもないファーストフードをあえて選ぶ必要性は、個人的にはあまり感じません。

スローフードってどんなもの?

では、スローフードにはどのようなものがあるのか。
そもそも、スローフードってどのようなものを指すのでしょう?

スローフードは、80年代にファーストフードに対してイタリア北部で始まった「地元の食材を使って食文化を見直す動き」を起源としています。

日本ではその後2000年ごろから、スローフードという言葉を耳にする機会が増えました。
ファーストフードのように、手早く作った料理を素早く食べてしまうことは、効率性の追求として以前の日本では特に重宝された考え方でした。

余った時間を仕事や個人的な趣味に使うという思想は、80〜90年代のバブル前後の日本で加速した考えで、それにともなって忙しく振る舞うことが、カッコ良く見られる時代でもありました。

では、スローフードとはどのような意味で、どのような食べ物をスローフードと呼ぶのか?
スローは「slow」で、ゆっくりという意味ですね。

ですが、ゆっくり食べるという意味ではなく、その土地で時間をかけて育てた、または作った食材で食事を楽しみ郷土を見直しましょう、という考え方を主旨としています。

時間をかけて丁寧に育てた有機野菜を材料にした料理や、それぞれの土地で愛される郷土料理などが具体例として挙げられます。

スローは確かに良いこと

社会はストレスであふれていて、その最大の原因は「時間」です。

何をするにも時間短縮を求められる現代、本来の自分のペースで仕事できない現状は、プレッシャーも重なってストレスの原因となっています。

さらに、そのような日常にポケベルが加わり、営業マンが外回りでさえ監視下に置かれだした頃から、日本の異常ともいえる時短意識は高まり、過剰なストレス社会が構築されていったのではないでしょうか。

人間という生き物は、1日のうちにたった数分でも構わないから、少しでも「ボーッ」とした時間を持たなければ精神的におかしくなってしまうと思います。

そんな日常の中で、食事といった定期的に必ず訪れる時間でリラックスする考え方は、極めて合理的と言えます。精神的な休養は生産性を高めるし、巡り巡っておかしな精神犯罪の抑止にもつながるでしょう。

健康的な食材を使ったさまざまな料理も、精神的な満足身体的な健康を実現し、肥満の解消にも繋がるでしょう。仕事でも趣味でも、生産力を高めてくれるはずです。

それでは、ファーストの居場所はどこにあるのか?

それは、「選択肢のもう一つ」としてあるべきなのです。
仮にスローが優れた考え方だとしても、それしか選べないことには問題があります。

仮に少数派だとしても、ファーストの考え方、生き方が好きという人にとっては、ゆっくり食事して会話を楽しむことは煩わしいのです。

自分がそうだというわけではありませんが、どんな分野においても「選べる」ことが、大事な精神安定剤になってくれます。

だから、ファースト◯◯を、否定するのはやめましょう。
推進する必要はないけれど、そっとそこに居てもらえばいいのです。

それが、スロー◯◯の良さを、もっと引き立ててくれるはずですから。

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