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2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」10話までの感想

明治維新150周年を記念したNHK大河ドラマ「西郷どん」が1月7日に放送を開始し、約2カ月が経過しました。そこで、最新話である第10話まで見て思ったことを書きます。

初回で明かされる薩摩のコンセプト

郷中教育に組まれた妙円寺詣りの話に、西郷小吉(吉之助・隆盛)の属する下鍛冶屋町には「岩山いと」という女の子が登場します。

妙円寺詣りは男子の大会ということで、いとの参加はひどく非難されます。
明らかな「男女不平等問題」であり、現代の「ジェンダーレス社会」を先取りした問題提起です。

下級武士の子である小吉は、妙円寺詣りのいきさつで上級武士の子どもから逆恨みを買い、右腕を刀で切られます。武道を得意としていた小吉ですが、この事件が原因で自由に剣を振ることができなくなります。

嘆く小吉に出くわした斉彬は「侍が重い刀を2本もさして反っくり返る時代は終わる」と断言します。
斉彬の言葉に心を奮い立たされた小吉は、民衆のためにいつか斉彬に仕え働くことを強く決意したのです。

生産しない武士

武士は当時の日本の人口のごく一部を占めるにとどまりますが、絶大な権力を持ち財を独占していました。しかし、彼らが米やその他の作物を育て生産するわけでもなく、農民が汗水たらして働いて、1年かけてようやく育てた米の半分(あるいはそれ以上)を年貢として武士が持っていってしまいます。

そんな武士がそんなに偉いの?と、私は思うのです。

教科書で士農工商を学んでいた小さな子どもの頃から、私の武士に対する個人的な思いはそれです。
かつて、戦国武将が人気を集める時期もありましたが、彼らがカッコよく振る舞えるのも、彼らの食べる米を作ってくれる農民がいるお陰でしょ?としか思えないのです。
違いますか?

ようやく明治維新の動き始まる?

9話あたりから、舞台は薩摩から江戸に移ります。
やっと、幕府を巻き込む明治維新の舞台に西郷隆盛が住処を移すのです。
ここまで、薩摩藩での吉之助の幼少時代から青年時代までが、延々と描かれます。

全47話が予定されている「西郷どん」の前半10話を使って、貧しい農民の暮らしや下級武士の生活、薩摩藩の特徴や登場人物を説明しているとも言えるでしょう。

ここまでに、いとさんの恋の話、父と母を時をほぼ同じくして共に亡くす話などが描かれます。
ドラマはお話として見やすく、面白いものです。

しかし、その内容が歴史の事実に沿っているかといえば、事実に忠実であろうとする以上に、見てわかりやすいエンターテイメント色豊かな内容を優先しているようにも見えます。

西郷と大久保は小さな頃から交流の深い親友のように描かれていますが、現実には早い段階で彼らは仲違いしています。

出世の機会に恵まれなかった西郷に対し、維新後の政府に重用された大久保の間には大きく身分の差が生まれました。

当時における身分の溝は極めて深く、現在のように上下関係をさしおいてまで親友という概念が強かったのかという点にも疑問が残ります。

武士だった士族たちの維新後の生活を心配する西郷に対し、常に新政府に目を向けていた大久保を比べれば、新政府に大きな働きをしたのはむしろ大久保と言えるでしょう。

西郷は維新の起爆剤になったとは思いますが、終わってみれば結果的に西郷が関わっていたという印象です。

ヒーロー的扱いをされやすい西郷隆盛の尽力は確かですが、ここ鹿児島で私は小学生の頃から、大久保の功績をむしろ聞いて育ってきたように記憶しています。

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