米津玄師のライブツアー「Fogbound」の鹿児島公演を11月26日に見ました。

米津玄師って?

私はシングル「ピースサイン」に封入された、最速先行受付のシリアルナンバーでエントリーし、無事当選しました。

米津玄師は、ニコニコ動画発信のアーティスト。私は少し乗り遅れましたが、ハチという名前で、ニコニコ動画で彼が生み出す曲をリアルタイムで聴いていました。
その後「米津玄師」としてデビューした彼はまた、様々な曲を生み出してきています。その音楽からはある意味「やるせなさ」を感じ、それでもその姿が「ありのまま」で、浮世離れしているかのようです。

どうしようもなく夢の中だ

一曲目のfogbound。これは池田エライザとコラボした曲です。光とスモークに包まれてステージに身を置いているかのような彼は、歌を浮かせるかのようにして、今度は私たちを包みこみました。皆、ひらひらと手を上げて、彼と共に蝶のように舞う。私たちは一緒に、一緒に息をしていて、これからまさに、その音楽が紡ぎ出される。ステージセットで、交錯している銀の鉄棒がバックライトに照らされて、これからの幻想的な非現実を感じさせました。

砂の惑星については、私はこれまでに初音ミクverも、米津玄師verも聴いていました。そんな中でお互いがお互いを高めあったように感じ、まさに米津玄師の声が会場の空気をさらっていきます。
それからアルバムのリード曲である飛燕。そして春雷。かいじゅうのマーチと続き、

「アイネクライネ」

この曲は米津玄師の楽曲の中でもよく知られている曲で、私は、この曲をどれだけ聴いても、「ああ、米津玄師の曲だなあ」と感じます。これは曲だけではなく、イラストもムービーも米津玄師が作り上げたものです。PVに描かれている2人が持つ傘に、私も入りたいし、そこに温かな雫を落としても良い。これはネットで聴いても、CDで聴いても、動かされる感情が止まりません。それをライブで聴くと、会場が一体になるというより、それぞれが曲の中に取り残されるかのような、そんな感覚を受けました。この一曲で何かがと、今は分からないけれど、その何かを、ただひたすらに愛したくなります。

そうしてorionと続き、ライブ中盤なのにもう既にスパートをかけられているかのようでした。

「もっと、もっと、盛り上がって」

LOSERという曲に入る時。米津玄師が客席に向けて声を出しました。
彼はテレビなどでの露出が少ないために、私は彼の歌声ではなくて、その声を聞いたことがほとんどありません。彼の声は真っ直ぐで、でも儚げで、私たちに届いて、私たちの中に消えていく。

「もっと、もっと」

そう願ったのは私でした。

そうして、彼のリズムが刻まれるままに披露された、ゴーゴー幽霊船。彼がデビューしてから最初の頃に作られましたが、外見も中身も凝縮されていて、まるでセリフを繰り返すかのよう。今と、過去の曲の違いを強く感じる曲です。

その後のセットリストは、「米津玄師」を切り取ったもの。そして、

「ドーナツホール」

元々の歌唱はGUMIと呼ばれるボーカロイド。ニコニコ動画で活動していた、ハチ時代の代表的な音楽でありますが、今ではほとんど、米津玄師本人が歌うようになっています。確かな想いがあるとしても、それが僕らにとって、それで良いのだろうか。そんなことを伝えるような、それでも解釈出来ないようなこと。彼はそんなことを当たり前のように歌って、逆に複雑さを照らし出すようにしていました。

そして、「最速先行受付のシリアルナンバー」が封入されていたピースサイン。私たちを繋ぐかのようなその曲では、米津玄師に向けて皆がピースサインを掲げます。彼が捧げるその歌に、皆がピースを捧げていました。

彼の曲はどことなく変わっていて、
「その変わりよう」
に焦がれて、聴いていたように思います。彼だけしか作り出せないその音楽は、私の気持ちを本当にしました。

米津玄師は作り上げた歌を、どこまでも自分のものにしています。それは当たり前ですが、彼は、彼で、どうやったって彼からその曲が離れることはありません。ただ漂い、通り過ぎていく日々の不確定さを拾い上げそっと置くかのようで、私は、この瞬間を拾って閉じ込めてしまおうと思いました。

結局はこんな人生で、どんな人生なのだろう

彼は、一言、
「音楽を作っている時は楽しいと感じたりもするけれど、それ以外はクソみたいな人生だ」
と言いました。それだけの言葉を隠さずに言える彼は、どれだけ私を許してくれたでしょうか。米津玄師に、救われる。これからも彼が生み出す曲に支えられて、生きていく。
アンコールで、シングル「ピースサイン」のカップリングとして収録された、
「ゆめくいしょうじょ」
「Neighbourhood」
を彼は彼露しました。彼は彼の世界にいて、私は別の星に住んでいて、皆分からないことばかりだと思います。それでも彼は生きて、私も生きて、誰もが生きて、
「自分が作った曲を、喜んで聴いてくれる人がいる」
そう言った彼から、私はこの身体が空っぽになるまで、どこまでも離れられない。

ありがとう。

そんな事実の涙をぬぐうかのように、この鹿児島という離れた土地で一緒になっていました。