前回のあらすじ
翔は思い出した。卒業後も、働かないと言った親友、龍の言葉を。「はたらく」ということに悩み、就活をしなかった龍。しかし、今の彼は、古本屋でバイトをしている。龍が「変わった」と感じる翔に対して、悩み、迷い続けることも、自身の変わらない根っこなのだと言う龍は……?

彼の黒い目の中にはまるで、星のような光の粒があった。俺は思い出す。決して目を逸らさなかった、彼の深く、黒い瞳を。あの頃の龍は、俺が見向きもしていなかったモノを見ていたのだろう。「当たり前」を隠れ蓑に生きてきた俺とは違うのだ。

「翔、世間がいうところの当たり前は決して、正解ではないと、俺は思っている。そもそも全ての人間に当てはまる正解なんてないんだ。いや、正解そのものがこの世には存在しないかもしれないけどな。だから悩んで当然だ、疑問に思って当然なんだよ」

考えて、気付いたんだよ。そう言って彼は、コーヒーカップを片手に、語り続ける。

「このままだと駄目だって、前に進むべきだって、気付いたんだ。俺には、今と過去しかないかもしれない。けれど、それなら未来を作ればいいんだ。少しずつでも歩いていくことが必要なんだって」

彼の話を聞きながら、俺もコーヒーを口にする。

……それは生温くなっていた。ああ、また苦くなる。なんて思って、俺はぐいとそれを飲みほした。

「翔、お前、落ち込んでいるだろ」

「なんだよ」

「変な顔だ、そんなにコーヒーが不味いか?」

「違う」

思わず、声に力が入ってしまった。しかし、龍は変わらず笑っている。

「冗談だよ」

そう言って、彼もコーヒーを飲みほした。そうして、

「なあ、翔、俺はさっき言ったな。悩んで当然だ、疑問に思って当然だって」

「ああ」

「だから、お前もそうだ」

「……はあ?」

「俺と、お前は変わらないんだ。辿ってきた道は違うけどな。考えの行き着く先は一緒だ」

働くってなんだ?ってな。俺は……、ゆっくりと、その言葉を飲み込んだ。

「俺と、龍は変わらないのか」

言うと、

「そうだ、根っこの部分は変わらねえ」龍は言い切った。

根っこの部分は変わらない。俺は、思案する。それでも、俺と彼はどこか違うように思えた。どうしてだ?

「伸びている枝葉が違うだけ」

不意に、龍の言葉がリフレインする。伸びている、枝葉。

俺は、空っぽになり、枯れ果ててしまったとさえ感じてしまう、自分の気持ちを思い出す。……そうだ、違うじゃないか。俺は何も考えず、避けて生きてきた。そうして考えることをやめた俺は、枝葉が落ちてしまっている。龍はどうだ? 考えて考えて、少しずつでも枝葉を伸ばしたのではないか。

「沢山の時間があることは分かっているんだ。だから俺はこれからも考えるよ、焦る必要はない」

いつの日かの龍の言葉を思い出す。今からでも、遅くはないのだ。

「……翔?」

黙り込んでしまった俺を不安げに見る龍が居た。戸惑ったようなその顔に、俺は思わず笑ってしまう。そうしてサンドイッチを一口食べ、席を立った。

「どこ行くんだよ」

「ちょっと買い物だ、龍も一緒だぞ」

「はあ?」

いきなりなんだとでも言うような龍を無理やり引っ張って、俺は店を出る。そうして足取り軽く、むしろ、今にも駆け出してしまいそうな気持ちで、先へと歩いたのであった。

冬に春 第四章

帰り道、荷物が多くなったからと、二人で俺の家へ向かう。なんだかんだ言って、人情味のあるやつなのだ。

「なんでいきなり、スーツなんだよ」

それでもぼやきながら歩く龍に、俺はふふ、と笑って、

「今使っているやつがボロボロなんだよ」言うと、

「……それだけじゃねーくせに」

流すだけではなく噛み付いてくるのも、龍らしいと思った。

「龍、ありがとうな」

「何が」

「買い物にも付き合ってもらったし、ここまで来てくれたし」

「……そっちかよ」

一瞬、顔を見合わせる。俺たちは笑った。龍は少し照れ臭そうにしながら、

「俺の話、聞いてくれてありがとよ」そう言って、ゆっくりと手を振りながら、去って行ったのだった。

 

働くこととは何か?考えても、俺にはまだ分からない。正解なんてないと、龍は言っていた。それでも、俺は思ったのだ。俺にとっての正解は、あるのではないか?他人から見て、それが正解とは違ったとしても、少なくとも自分の中で正解だと思うことを見つけるのだ。時間は、まだまだある。人生これからなのだ。

階段を踏むと、カンカンと小気味良い音がする。そうして俺は冷えたワンルームの部屋に入り、ベッドに脱ぎっぱなしになっていた古いスーツを手に取った。それをゴミ袋に放り投げる。

同じように、仕舞っていた何着かのスーツも捨てていく。くたびれたそれらは、まるで枯葉のようで、なんだか滑稽だった。

スカスカになったクローゼット。そうしてそこに、俺は、新しく買ったスーツを掛けていくのだった。