情報番組をにぎわすさまざまな出来事たち。
そして、これらには共通点が見えてきませんか?
任せた、のに。信じた、のに。味方だと思ってた、のに。
そして世間は自分を責めるのか。と。
例えば、『自分より努力していない人』、『正当性を欠く人』、『事実とは違うこと(を言う人)』が、表面的なことで世間からいい評価を受けている(そうでなくても受け入れられてはいる)、となったとき、きっとどんな聖人君子でもいい気はしないでしょう。
任せた、のに(ちゃんとやってくれなかった)。
信じた、のに(はしごをはずされた)。
味方だと思ってた、のに(裏切られた)。
真相はわかりませんが、そういうことなのかもしれません。
一般的に言う「裏切り」とは「客観的事実」でしょうか?
それとも「主観的・心理的」なものでしょうか?
痴漢は犯罪です。しかし痴漢より範囲の広いセクハラは「されたほうがどう思ったか」で変わります。
そして、「客観的で論理的」なことが、「主観的で感情的」より素晴らしいとも限りません。
仮に、「どう見たって裏切られた」ときも、「どう見たって被害者になった」ときも「報復」は「法治国家的」に認められません。
「自分が味方だと思っている相手」への依存が始まった時、もうあなたは相手の「本当」が見えなくなっているかもしれません。