参加しているテニスサークルで活躍していた、初心者にプレーを指導する役割を務めるほど上級者だった年長のサークル仲間がプレー中に骨折しサークルを退会しました。
彼はさまざまな理由からうつを発症し、勤めていた会社を早くに退職しました。その後うつは回復し新たな職を求めて休職中の身分にありましたが、大きなケガのために仕事そのものが難しくなり、現役引退を自分で決めました。
大きな手術を2回
当時、彼は53歳。
定年退職とされる年齢までまだ数年を残しており、自分でも就職活動に熱心に取り組んでいました。
長くキャリアを積んできた人ではありましたが、年齢を主な理由として採用面接はことごとく不採用。
というより、書類選考で落とされ面接すらしてもらえないことがほとんどでした。
大きなケガは打ちどころが悪く2度の手術を経緯しようやく一段落したものの、その後もリハビリが続き今も痛みを伴うリハビリは終わりません。
53歳の定年退職
その後の人生で好きなことをして過ごす彼の人生は、はたから見れば気楽なものに見えます。
しかし、うつに至るほどひどかった、それまで彼が過ごしてきた職場での経緯を知る自分にとって、あれだけ頑張ってきたのだから彼については「早めに訪れた定年退職」と考えてもいいのではないかとさえ思えました。
彼は若い頃から続けている創作の趣味により力を入れ、数多くの誌面に投稿を楽しんでいます。もはやテニスはできなくなりましたがもともと頭の良い方で、指の動きを練習するリハビリの一環として麻雀を楽しみ、現在では地元の福祉施設で開催される麻雀サークルで指導する役を担っています。
リクルートには昔38歳からのフレックス定年があり、現在でも様々な早期退職制度がありますが、なぜそんなことをするのかという答えがここに書いてあると思いました。
でも、坂本さん、TIリストラ組だった…https://t.co/uuUrouYMdj #NewsPicks
— 曽和利光 (@toshimitsu_sowa) June 22, 2017
人生の選択とは人生の洗濯
求職活動を続けるか、治療に専念するか、悩んでいた彼に「早めに訪れた定年退職」という考え方を伝えたのは私です。
その考え方が正しかったのか、間違っていたのかは、自分でも今でも分かりません。
しかし、彼は今ではうつを再発することはないし、その後も新たな出会いに恵まれ仲間を増やし続けています。その仲間たちも、会社勤めを続けている中ではおそらく出会わないような人たちばかりです。
しかし、このような決断ができたのも、たまたま彼が既に離婚を経験し独り身であり、子どもも早くに独立していたことが大きな要因だろうと思います。
それにしても、生き方はさまざまに用意されているものだなと、彼を見てそう思います。
もし、日本の定年退職年齢が今より5年早くて55歳だったら、それは仕事に対する個々の考え方の違いもあり一概には言えないかもしれませんが、健康な体で多様な経験をする機会が大いに増加するだろうと思います。
55歳、それは中年として活動的でいられる最後の青春。
今でも企業によっては55歳で退職することを、退職金など契約面の調整で可能にしているところもあるはずです。
選択できる人生がこういう部分にも届けば、人生の使い方はもっと多様化できるだろうと思います。