鹿児島県姶良郡湧水町に、「霧島アートの森」という野外美術館があります。
霧島連山栗野岳、標高700メートル敷地面積13ヘクタールに屋外展示と屋内展示を備え、2000年10月12日に開園しました。
立地は公共交通の便が無いわけではありませんが、バスの本数は少なく、到底アクセスが良いところとはいえません。
霧島アートの森
感じるものがすごかった。#霧島アートの森 #FUJIFILM #photography #写真撮る人と繋がりたい #写真好きな人と繋がりたい #写真で伝えたい私の世界 #写真の奏でる私の世界 #キリトリセカイ pic.twitter.com/HouEDuZ4MX— c h i g e .📷 (@adpwjmgtmja) May 4, 2017
アートはどのようなものだろうと期待した朝の出発
ひふみよベース紫原は5月13日土曜日、総勢6名で車に乗り込み鹿児島市から霧島アートの森に向かいました。スマートフォンのカーナビ機能を駆使し、交通量の少ない高速道路の恩恵も受け、鹿児島市から極めて短時間で霧島地区へたどり着くことができました。
施設として人間が造り出したアートの森には、鹿や猪、野鳥や昆虫もやってきます。人が散策するなか警戒もせず飛び込んでくるわけではありませんが、鹿が特定の植物を好んで食べに来ることもあります。
植物全体の生態系の問題もありますから、偏った植生は運営面で不都合をもたらす場合もあり、自然をそのまま取り入れた屋外美術館の泣き所とも言える点です。
https://twitter.com/ahs0331/status/859762816252694531
芸術より実用…
芸術に囲まれて2時間ほどを過ごした今回の取材の成果として、本来なら芸術を賛美する文句を並べるべきなのでしょう。
芸術はそれはそれで存在することに価値があるとは思いますが、個人的には存在の価値は「実用性」の高さに置いているため、それ自体で具体的に何かができるわけではない各展示物に感銘を受ける事はありませんでした。
テレビなら番組を見ることができます。オーディオなら音楽を聞くことができます。洗濯機なら洗濯できます。電子レンジは加熱することができます。
私は、そのような価値観ですので、「具体的に何かができる」ことのない物に価値を感じることはありませんでした。
体調もイマイチだったので、勤務つづきだった連休明けの先週、主に温泉につかりに九州に行ってました。九州には良い温泉がいっぱいあります!
立ち寄った野外美術館「霧島アートの森」には、草間彌生先生の作品がありました。「シャングリラの華 」(2000年制作)。勝手にコラボ(合成写真)。 pic.twitter.com/KWDLHgquiN
— S.Shiyake (@s_shiyake) May 15, 2017
実用性の芸術
家電製品を並べてその実用性を芸術として鑑賞する美術館なら、個人的には感動するだろうと思います。
そしてそれは既に存在しており、一般的に「家電量販店」と呼ばれています。
家電量販店から売買の要素を取り除けば、実用性重視の人向けの美術館ができますね。それはまた「メーカー新作展覧会」という名で既にあるものかもしれません。
https://twitter.com/tua_to07/status/862656830798942210
文章芸術(小説、詩など)には高い芸術性を感じるのですが、視覚、聴覚の助けがある映画や音楽は文字の芸術より下、と考えています。
なぜなら、文章芸術は映像も音楽も文字を頼りにすべて自分の力で想像しながら読み進めなくてはならないから。
読み手に甘くない点に、妥協のなさを感じます。潔いのです。
霧島アートの森の鑑賞は広い芝の丘を散策できたことが楽しい時間となりました。
やっぱり、自分は小説と全自動洗濯機が好きな人間なのだと再確認させられました。
http://open-air-museum.org/
via:霧島アートの森